ハーン(可汗、qaġan/qaγan、khaan)は、北アジア、中央アジア、西アジア、南アジアにおいて、主に遊牧民の君主や有力者が名乗る称号。古い時代の遊牧民の君主が名乗った称号カガン(qaġan/qaγan)はその古形である。
ハーン( khān ; хаан/khaan)と発音するのは現代モンゴル語や現代ペルシア語などで、ハン(han, 現代トルコ語)、カーン(khan)などとも発音・カナ表記される。「王者」を意味するペルシア語のハーカーン( khāqān)、トルコ語のハカン(hakan)も語源は同じである。これらに対応する后妃の称号はハトン、カトンなどである。また、後に最高君主のハーン、カアンと、より低い君主号としてハンが分化した。漢字表記では「汗(カン)」と書くことが多い。
カガンとカン [編集]
この称号の最古の用例は5世紀はじめの402年に、北アジアの遊牧国家である柔然の君主社崙が、丘豆伐可汗を称して君主の称号に採用したものとされてきた。しかし、以下の傍証から3世紀、場合によっては2世紀以来、鮮卑系諸族の間で君主号として使われてきた可能性が指摘されている。443年(太平真君4年)、北魏の太武帝は自らの出自たる鮮卑拓跋氏の故地(今日の内蒙古自治区オロチョン自治旗に位置する大興安嶺山脈山中の森林地帯)にある嘎仙洞に、祖先を祀る漢文の祝文を刻ませており、ここに「皇祖先可寒を配し皇妣先可敦を配す」と末尾部分に記している。これを意訳すると「皇祖・皇妣を先の可寒・先の可敦とも称してこれを祀る」という意味となり、398年の北魏君主の皇帝号採用以前は鮮卑固有の君主号が可寒、君主の后の号が可敦であった傍証と考えられている [1] 。鮮卑系の政権でやはり可汗号をもちいた例に遼西の慕容部から出た吐谷渾があるが、北魏では孝文帝以降用いられなくなったと考えられている。
柔然によって草原に広められたカガン号は、やがて柔然から独立して北アジアの覇権を奪った突厥の君主号として採用される。遊牧民が自身の言語で残したカガン号の最初の記録としては突厥のテュルク語碑文が挙げられる。これ以降、テュルク・モンゴル系遊牧民の君主称号として広まっていく。
カガンは、漢文史料には可汗(かがん)と表記されて記録に残るほか、「皇帝」と漢訳する例が見られた。
7世紀にヴォルガ川流域で王国を形成したハザールや、ドナウ川流域に侵入したブルガールも、カガンを王の称号としていたことが知られる。タバリーやイブン・ファドラーンなどのアラビア語による史書や旅行記に記録されている突厥系やハザールなどの君主号は、上述のハーカーン( al-khāqān)である。
カガンの語源は明らかではないが、高句麗の王族の尊称「加」、百済の王族の尊称「瑕」、伽耶(加羅)の王の称号「旱岐」などと同じ語源と考え、アルタイ諸語系統の王族を示す古い語彙に由来し、韓国の「韓(han)」も同系統の名であるとする説がある。
やがてカガンはつづまって、テュルク語ではハン(χan)、モンゴル語ではカン(qan)と発音されるようになった。カガンからカンに至る音声学上の変遷はいまだ詳らかではないが、西ウイグル王国では13世紀にモンゴル帝国に帰順した時期には、カガンはハンに変化していたようである。また同じ時期、ホラズム・シャー朝では、セルジューク朝などの慣例に習って王族たちは「マリク」で呼ばれていたが、地方都市の太守(ハーキム)を担うようなより高位の有力な王族たちなどに対して、ハン( khān)が尊称として使われていたことが知られている。例えば、オトラル事件で有名なオトラルの太守イナルチュクはガイル・ハン(Ghā'ir khān)とも称されていた。
モンゴル帝国のハーン [編集]
12世紀のモンゴル高原では、カンはモンゴル、ケレイト、ナイマンなど部族の王が名乗る称号であり、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンも、彼の在世当時はチンギス・カン(Čingγis Qan/Činggiz Qan)と称されていた。しかし、チンギス・ハーンを継いでモンゴル帝国第2代君主となったオゴデイは、恐らくモンゴル帝国の最高君主が他のハン・カンたちとは格の異なった「皇帝」であることを示すために、古のカガンを復活させたカアン(qa'an, qaγan)という称号を採用し、のちにモンゴル帝国の最高君主が建てた元王朝もカアンの称号を受け継いだ。
これに対して、モンゴル帝国西部のチャガタイ・ウルス(チャガタイ・ハン国)、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)、イルハン朝の君主は、モンゴル語で「カン」と名乗った。こうしたモンゴル帝国の諸王の「カン」がペルシア語では「 khān」と表記・発音されたため、アラビア文字使用圏では最終的にハーン(khān)/ハン(χan)という形で定着した。
なお、ペルシア語では、モンゴル帝国皇帝の称号である「カアン」を、カーアーン(qā'ān)あるいはカーqān/qa'ān)と表記しており、モンゴル語のカン(qan)に由来するハーン(khān)の表記とははっきり区別されていた。ティムール朝の史料では「ハーカーン」という名称をチャガタイ・ウルスなどのチンギス家の君主たちを指すのに用いたり、あるいはティムール朝の君主の雅称として形容的に使われたのみで、オゴデイ以下のモンゴル皇帝たるカアンに対しては、依然として「カーアーン」という語も使われている。モンゴル帝国が解体した後も、ジョチ・ウルス系の君主を始め、西方のテュルク語・ペルシア語圏の君主に対しては「カーアーン」は使われていない。
一方、東の元・北元ではカアンの称号が最高君主の称号として広く用いられた結果、逆に本来一般の遊牧君主を指したカンの称号が廃れて使われなくなった。また、東方のモンゴル語圏では q 〜 χの子音が変化してハーン(хаан/khaan)と発音されるようになった。
このような経緯の結果、モンゴル帝国時代のカアンとカンは現地の現代語によってカタカナ表記するとほとんど同じハーンという発音になる。このため、区別するためにモンゴル帝国のカアンを「大ハーン」「大カアン」と呼ぶこともある。
モンゴル帝国解体後のハーン [編集]
モンゴル高原では、元朝崩壊後もチンギス・ハーンの子孫でないものがハーン(カン、カアン)の位につくことはタブー視され、チンギス・ハーンの子孫ではない遊牧君主はたとえ実力でモンゴルを制覇したとしてもハーンとはなれない慣行が生まれた(「チンギス統原理」)。15世紀にこれを無視してハーンに即位したオイラトのエセンは、モンゴル高原をほぼ統一するほどの勢威を誇ったにもかかわらず、ハーン即位後すぐに内紛によって殺されてしまった。
チャガタイ・ハン国分裂後の中央アジア、キプチャク・ハン国分裂後のキプチャク草原でも同様の現象が起こったが、一方でモンゴル帝国の支配からはやや離れたアナトリア半島では、早くからチンギス家の血を引かないオスマン家がハンの称号を帯びた例があり、イランやインドでは地方総督や小部族の首長などがハーンを名乗る慣行がモンゴル帝国の解体後再開している。さらに時代が下るとチンギス統原理も揺らぎ始め、チンギス・ハーンの血を引かないジュンガルやマンギトなどの部族長がハーンを名乗った。
東アジアでは、17世紀初頭に女真のヌルハチが満州(女真)のハンに即位して後金を立てていたが、後金はヌルハチの子ホンタイジのときモンゴルのチンギス裔のハーンを服属させ、満州だけではなくモンゴルに対してもハーンとして君臨することとなった。こうしてモンゴルのハーンとなった満州のハーンは、自らを元の大ハーン政権の後継王朝と位置付け、国号を清と改める。清の支配下では、ハーンは清朝皇帝の臣下である遊牧民の王侯が称する称号、爵位の一種としても使われた。
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